コラム[My バトンソングス]第3回
  • Myバトンソングス コラム03
    森山良子
    ミュージシャン
    森山良子
    バトンソング『さとうきび畑』
    2019.06.11

    寺島尚彦氏作詞作曲による『さとうきび畑』をレコーディングしたのは1969年の事、私が歌手としてレコードデビューしてから2年後のことでした。

    ご近所にお住まいだった作者自身が「この曲を是非歌って下さい。」と譜面を届けてくださいました。それまで何度かお仕事をご一緒し、時々ご近所同士、すれ違いご挨拶する間柄でした。お預かりした譜面を広げて歌詞をたどりながら、私は愕然とした気持ちになりました。戦争を知らずぬくぬくと育った20歳の私の想像の範囲を何倍も大きく超える世界が広がっていました。そしてすぐに受け止めきれず私自身の未熟さを痛感しました。しかし寺島尚彦さんが私に譜面を手渡してくださった時の、何かひたむきな熱意のようなものは私の中に残っていました。

    当時レコーディング中で、フィリップスレコードの本城ディレクターに、この曲を是非にと頂いたのだけれど私にはとても歌えそうにない、と譜面をお見せしたところ、目を通した本城氏は「良子ちゃん、これはとっても素晴らしい曲だよ。ぜひレコーディングしよう。」と私の背中を強く押してくれたのです。そうして1969年のアルバム「森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2」に収録された『さとうきび畑』はたくさんの人々の耳に届きコンサートでもリクエストの多い曲となりました。

    以来50年、この歌は人格を持った仲間のように、私の隣で諭し、様々なことを考えさせ、教えてくれます。
    この曲に初めて出会った時に感じた自分の非力さも年月が解決し『さとうきび畑』はいつも人に語りかけ問いかけています。
    作者がかつて激しい戦いのあった摩文仁の丘を訪れた際、広大なさとうきび畑の下にはまだ戦没者の御遺骨がそのままに埋まっています、という説明を受けた時、大きな音を立ててさとうきび畑を吹き抜ける風の中で、作者は無念にも亡くなられた何十万もの人々の怒号や嗚咽を確かに聞いたそうです。その後、2年半をかけてこの曲は生まれました。

    「ざわわ…ざわわ…ざわわ」は66回繰り返され、11番まである、10分以上の曲です。この時間は聴衆の皆様とひたすらに平和を願い、誓い、そして戦争の犠牲となった限りなく多くの戦没者の御霊を思う鎮魂歌でもあると考えています。この静かで強い大切な反戦の(非戦の)歌を、これからの戦争を知らない若者たちにも、ずっとずっと戦争のない地球を願って、歌い継ぎ、語り継いで欲しいと強く願っています。

    森山良子